大丈夫(だいじょうぶ)
「大丈夫」という言葉は、「だいじょうぶ? 体調が悪いんじゃないの?」「任せてください! だいじょうぶですよ」などと使われています。広辞苑によると「一. とりわけ壮健なこと。二. あぶなげのないこと。しっかりしていること。ごく堅固なこと。三. 間違いの無い様。たしかなさま」とあります。ニュアンスとして英語の「ノー・プロブレム」に近い言葉です。
この大丈夫も、もともとは仏教語で、「菩薩(ぼさつ)」のことを意味します。菩薩とは、人々を救う為に、悟りを得ようとしている修行者のことを言い、観音菩薩や地蔵菩薩など、信仰の対象でもあります。
大丈夫は、この菩薩の呼び名のひとつでもあったのです。そもそも大丈夫は、古いインドの言葉(サンスクリット語)では、マハー・プルシャと言いました。マハーは「偉大な」という意味、プルシャは「人間」「男性」という意味です。つまり偉大な人間、偉大な男性のことを言い、それが転じて菩薩のことを指すようになったのです。
実は広辞苑には、「大丈夫(だいじょうぶ)」の隣に、「ぶ」に濁点の無い「大丈夫(だいじょうふ)」という項目があります。そこには「丈夫の美称。立派な男子。ますらお」とあります。「丈夫」は一般的には「健康にめぐまれていること」ですが、その他に「立派な男」という意味もあります。「立派な男」に「大」をつけた大丈夫は、まさにマハー・プルシャなのです。
道元禅師は『正法眼蔵』の中で、「いはゆる雪峰老漢 大丈夫なり」という一文を書いています。雪峰老漢という人のことを「大丈夫なり」、即ち菩薩であると言っているわけです。この雪峰老漢は、唐の時代に実在した禅僧ですが、道元禅師はこの禅僧を菩薩の如く尊崇していたのでしょう。
菩薩のことを指す言葉と、現代の「だいじょうぶ」は、かなり意味が異なるような気もしますが、「何があってもだいじょうぶ」という心持ちが悟りへの第一歩、つまり菩薩への第一歩と考えれば、そう遠い意味では無いのかも知れません。