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祇園(ぎおん)

 祇園祭は、京都の八坂神社の祭礼で、夏の風物詩でもあります。壮麗な山鉾巡行の姿を、テレビ等でご覧になったことのある人も多いと思います。

 祇園祭はまだ仏教と神道が融合していた神仏習合の時代に、怨霊や疫病を退散するために始められた祭です。八坂神社は、江戸時代までは「祇園社」という社名だったため、祭礼が祇園祭と呼ばれるようになりました。

 八坂神社近くの花街のことも祇園と呼ばれています。京都では、八坂神社、祇園祭、繁華街の祇園、どれも「祇園」です

 また祇園といえば、平家物語の冒頭にある、次の文があまりにも有名です。

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響(ひびき)あり。沙羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす。驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。猛き者もつひには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。

 この祇園精舎というのは、インドのコーサラ国で活動をしていたお釈迦さまが、説法を行っていた精舎(僧院のこと)を言います。仏教で修行僧が大きな僧院を建てて住んだ初めての場所だと言われています。

 コーサラ国の大臣でもあったスダッタ長者は、ある時、兄の家を訪ねました。すると兄の家では、お釈迦さまを招待する準備をしていました。とても素晴らしい教えを説く方だと聞いたので、スダッタはお話を聞くことにしました。

 そこで聞いた教えはすばらしく、スダッタは、すぐにお釈迦さまの弟子になり、この教えを多くの人に伝えたいと思うようになりました。

 そこでまず、お釈迦さまの教えを聞くことのできる場所を建てて、寄進しようと考えました。いろいろ場所を探したところ、素晴らしい林を見つけます。

 ところがそこは、コーサラ国の王子ジェータ太子の土地でした。スダッタはジェータ太子に、その土地を売ってくれるよう懇願しますが、太子は法外な値段を言って、売ろうとしません。

 その上、「欲しいだけの地面を黄金で敷き詰めれば、その黄金と引き換えに、その分の土地を売ってやろう」と意地悪をします。

 ところがスダッタは、この話を聞いてすぐに家に帰り、家財のすべてを売り払って黄金に替えます。そしてジェータ太子の林に、黄金を敷き詰めたのです。

 ジェータ太子は驚いて、スダッタに尋ねます。「なんでそこまでして、この林が欲しいのだ」と。

 スダッタは答えます。

「この土地は、お釈迦さまが教えを説くための場所として使おうと思っています。お釈迦さまの教えは素晴らしく、人々の心に安らぎを与えてくれます。一人でも多くの人に、この教えを聞いてもらいたいのです」

 ジェータ太子は、この話を聞いて、反省します。「残りの土地は、私に寄進させて欲しい」と、スダッタに協力をすることになりました。

 こうしてお釈迦さまが教えを説くための精舎が建てられます。

 精舎の名前は、ジェータ太子(祇陀太子)とスダッタ長者(給孤独長者)の名前から字を取って祇樹給孤独園、略して「祇園」と名付けられたのです。

 祇園は、仏教における最初のお寺と言ってもいいと思います。

 仏教は日本に伝来し、広まっていく中で、神道と習合していきます。八坂神社の祭神の牛頭天王(ごずてんのう)は、祇園精舎の守護神とされており、祇園社という名前も、そこから来ています。

 仏教における最初のお寺の名前が、日本の神社の名前となり、疫病退散のお祭りの名前となり、京都最大の繁華街の名前となりました。何とも不思議な縁を感じざるを得ません。

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