精進(しょうじん)
精進という言葉を聞いて、皆さんは何を思い出しますか?
料理の「精進料理」を思い出す人もいるでしょう。葬儀が終わった後に食べる「精進落とし」を思い浮かべる人もいるでしょう。また、力士が横綱に昇進するときに、伝達式で「相撲道に精進いたします」と口上を述べる姿を思い出す人もいるかもしれません。
精進という言葉自体は、いろんな意味を持っていて、横綱の口上の「精進」は、一生懸命に努力することを言います。一方、精進料理や精進落としの「精進」は、肉類の入っていない料理を意味します。
もともと精進という言葉は仏教語で、「世俗との関係を断ち、出家して、ひたすら宗教的な生活を続けること」を意味します。これは、仏教において実践するべき六つの徳目である六波羅蜜のひとつにも挙げられており、仏教者にとってとても重要な実践と考えられています。
こうした仏教語としての精進が、だんだん日常語として使われるようになり、「世俗との関係を断ち、出家して、ひたすら宗教的な生活を続けること」が、(宗教的な実践としてではなく、日常であっても)たゆまぬ努力をする、という意味に変化していきました。また、仏教の修行者は肉を食べないことから、修行者の食べる料理を精進料理と呼ぶようになり、さらには、(修行者のものでなくても)肉類の入っていない料理を精進料理と呼ぶようになったのです。
お釈迦さまは齢80歳で、弟子達に囲まれる中で、お亡くなりになりました。そのお釈迦さまの最後の言葉は、次のようなものだったそうです。
「すべては無常である。怠ることなく精進しなさい」
精進するということが、仏教徒にとっていかに大切なのかということを、お釈迦さまは、命をかけて私たちに伝えたかったのだと思います。