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本末転倒(ほんまつてんとう)

 「本末転倒」とは、物事の重要性や順番を誤ってしまい、本質を見失うことを批判して使うことばです。

 例えば「本末転倒」とは次のようなことを言います。

 Aさんは旅行に行く時、旅行先での美しい写真や魅力的な体験を求め、SNSでの注目を集めることばかり考えていました。

 旅行先の観光地に到着すると、まずスマートフォンを取り出し、写真を撮ることに没頭しました。風景や名所を通り過ぎる間もなく、彼は次々と写真を撮り、SNSにアップロードすることに集中しました。彼は写真を撮るために何度も場所を移動し、構図を追求しました。

 しかし、写真を撮り続けるあまり、周囲の美しさや雰囲気を感じること忘れてしまいました。彼は自然や文化に囲まれながらも、実際にその瞬間を味わうことができず、ただ見るだけの存在になってしまいました。

 旅行から帰ると、行った場所の印象があまりありません。旅行が楽しかったかどうかも曖昧です。

 Aさんは、写真を撮ってSNSにあげることにとらわれて、楽しむことをおざなりにしてしまったのです。

 こうした状況を「本末転倒である」と言います。

 この「本末転倒」という言葉は、仏教に由来すると言われています。

 日本の仏教には、いくつもの宗派があり、そこには宗派の中心の本山と、その本山の傘下にいる末寺という関係性があります。

 通常、末寺に比べて本山は大きな規模であるのですが、時代によって、宗派によって、末寺が力をつけて、本山よりも規模が大きくなることがありました。

 「本」山と「末」寺の力関係が「転倒」してしまうということです。

 それは、本来の関係性からするとあり得ないことなので、これを「本末転倒」と言うようになったと言われています。

 また中国語には「本末倒置」という言葉があり、日本に漢字が入ってくる際に、「倒置」が「転倒」と変化してしまい、「本末転倒」という言葉が生まれたという説もあります。

 『論語』の中にも、孔子の「言葉を学ぶために、詩を暗記することにこだわり、それを競うのは、本末倒置である」という言葉が残されています。

 このエピソードでも、目的と手段が混同されて、本質を見失っていることを「本末倒置」としています。

 人は日々生活を続け、仕事をしていると、つい、本質を見失ってしまいがちです。つねに自分自身を見つめなおし、本末転倒な行動をとっていないかについて、再確認することも大切だと思います。

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