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インゲン

 夏になるとインゲンのごま和えを食べたくなるという人も多いと思います。食卓に1品添えるだけでも、存在感のあるインゲン豆。
 このインゲンという名前は、実はお坊さんの名前です。江戸時代の初めのころに活躍した隠元隆琦(いんげん・りゅうき)というお坊さんの名前をとって「インゲン豆」と名付けられたのです。

 隠元さんは、中国生まれの禅僧です。明(みん)の時代、中国の黄檗宗(おうばくしゅう)という宗派の僧侶でした。
 お茶で有名な福建省の生まれで、幼少の時より行方不明だった父親を探して、21歳で旅に出て、有名な観音霊場である船山(しゅうざん)列島の普陀山(ふださん)で出家します。その後、修行を続けながら、46歳で黄檗山萬福寺(おうばくさん・まんぷくじ)の住持(住職)となります。

 隠元さんの名声は日本まで伝わっており、長崎の興福寺の逸然性融(いつねん・しょうゆう)という僧侶が、「ぜひ、日本に来て、本場の禅を指導していただきたい」と願い出たところ、3年間の約束で来日することになりました。
 その時、隠元さんが中国から持ってきた豆がインゲン豆で、隠元さんが伝えたということで、「インゲン豆」と呼ばれるようになったのです。
 来朝した隠元さんは、日本の仏教界でも活躍するようになり、中国のお寺と同名の黄檗山萬福寺を京都に開創します。3年の約束で来日した隠元さんでしたが、その後も日本で活躍し、結局82歳で亡くなるまで約10年を日本で過ごしました。

 ちなみに隠元さんが日本に伝えた仏教は、黄檗宗として、現在まで続いています。
 日本の禅宗には、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗と3つの宗派がありますが、寶泉寺の曹洞宗と隠元さんの黄檗宗は、同じ禅宗として兄弟のようなものであります。

 隠元さんは来日の際、インゲン豆だけでなく、西瓜(すいか)、蓮根(れんこん)、たけのこ(孟宗竹)も伝えたと言われています。当時の仏教界だけでなく、庶民の生活にも大きな影響を与えた方でした。
 またインゲン豆は、もともとアメリカ大陸原産の植物で、コロンブスが二回目の航海でヨーロッパに持ち帰り、ヨーロッパからシルクロードを伝って中国に、そして隠元禅師が日本に伝えました。今度インゲン豆を口にするときには、地球をぐるっと回って日本にやってきたことを思い出して味わってもいいかもしれません。

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