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意地

「意地を張る」「意地汚い」など、私たちに親しみのある「意地」という言葉。広辞苑によると「①こころ。気立て。心根。②自分の思うことを通そうとする心。③食欲」とあります。

 「意地を張る」の場合は②の自分の思うことを通そうとする心としての「意地」、「意地汚い」の場合は③の食欲としての「意地」を指します。

 この「意地」も、もとをたどれば仏教語であります。

 仏教では、眼・耳・鼻・舌・皮膚の感覚をあわせて五官と言い、その五官による認識のことをそれぞれ眼識・耳識・鼻識・舌識・身識といいます。そしてこれらの認識をまとめるものが「意地」だとされています。この「意地」は、心のことでもあります。これら五つの認識を成り立たせているものでもあり、同時にこれら五つの認識が感じるもの(情報)を受けとめる役割をするものでもあります。

 そのため、意地(心)は、これら五つの認識そのものに左右されるとともに、その五つの認識が感じたものをどう受けとめるかによっても、変わってきます。

 お釈迦さまの言葉に「人には、迷いと苦しみのもとである煩悩がある。この煩悩のきずなから逃れるには五つの方法がある。第一には、ものの見方を正しくして、その原因と結果とをよくわきまえる」(『仏教聖典』仏教伝道協会/P.124)とあります。

 煩悩の原因のひとつは、ものの見方だというのです。

 意地であるところの心は、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識によって成り立っています。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識が、正しい情報を心に送っても、受け止め方が間違っていたら、そこに迷いが生じてしまうというのです。

 正しいものの見方、これを得ることは簡単ではありませんが、それができるよう、日々努めることが大切だと思います。

 前述のお釈迦さまの言葉には、次の文章が続きます。

「すべての苦しみのもとは、心の中の煩悩であるから、その煩悩がなくなれば、苦しみのない境地が表れることを正しく知るのである」

 ものを正しく見ること、それは煩悩を無くし、苦しみの無い境地にたどり着く第一歩であるということです。

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