未曾有(みぞう)
東日本大震災が起きた時、「未曾有の大惨事」「未曾有の災害」などと、テレビや新聞で、何度も使われたことを憶えている方も多いと思います。
この言葉は、こうした特別なことが無い限り、あまり使われる言葉はありません。たいへんなことが起きた時に、それを表現するのによく使われます。
一方、この言葉を「みぞう」と読むことすら知らない人もいて、ある総理大臣がこの言葉を「みぞゆう」と間違った読み方で使ったことが話題になったことを憶えている方もいると思います。
この未曾有ですが、漢文の書き下し文で読むと「未だ曾て有らず」となり、「未だかつてなかっためずらしいこと」(広辞苑)という意味のことを言います。
法華経方便品では「成就甚深 未曾有法 随宜所説 意趣難解」(極めて深く、未だ曾て聞いたことすらない最高の悟りをなしとげ、その悟り極めた教えを聞くものの状態に応じて適切に説いてきたために、仏の心をたやすく理解することは難しいのである)とあり、教えが最高であることの表現として使われています。
もともとは、サンスクリット語の「アドゥブタ」という言葉で、仏の功徳の尊さや神秘さを賛嘆した言葉でした。
こうしたことから未曾有は、涅槃、すはわち、仏教における悟りの境地をも指すようになります。一切の煩悩や束縛から離れ、智慧を完成させた状態のことです。
その「アドゥブタ」を、仏教が中国に輸入された時に、三蔵法師が「未曾有」と訳し、それが現代の日本まで伝わったのです。
つまりもともと未曾有は、いい意味でしか使われることは無かったのです。それが鎌倉時代くらいから、善悪両方の意味で使われるようになり、今では、どちらかというと、よくないほうの意味で使われることの方が多いようです。
仏教でのもともとの意味に立ち返り、時にはいい意味でも使ってみたいものです。