大袈裟(おおげさ)

大袈裟とは、ものごとを必要以上に誇張していることを言います。
この大袈裟の「袈裟」という言葉ですが、これはお坊さんが着ている衣(ころも)のことを言います。これはお釈迦さまの時代のインドにまでさかのぼりますが、当時、お坊さんがつけていた衣を「カシャーヤ」と言い、その「カシャーヤ」が音訳されて、「けさ」となったのです。
お釈迦さまは、カピラヴァストゥという国の王子として生まれました。しかし青年になっていから、この世の中の矛盾に悩み、王位を捨てて出家することになります。出家するために長年住んでいた城を出るわけですが、門を出たところで、王子である自分の立派な着物と、そこで会った猟師の粗末な着物を交換します。その粗末な猟師の着物が、袈裟の始まりだと言われています。
当時の袈裟はとても粗末な衣でしたが、仏教が北の方に伝わるにつれ、寒さをしのぐため下衣がつけられるなど、だんだんとお坊さんの着る着物が複雑になって、今の袈裟のかたちができてきたと言われています。
皆さんの中にも、輪袈裟や絡子(らくす)をお持ちの方がいると思いますが、それも、袈裟の一種です。簡易的な袈裟と言ってもいいでしょう。
袈裟をめぐって面白いお話しがあります。みなさんご存じの一休さんの話です。
一休さんは、室町時代に実在したお坊さんです。お坊さんとしてとても位の高い地位にあったのですが、そうした位にはあまりこだわらない人で、自由奔放に生きた方でした。
その一休さんが、ある日、金持ちの庄屋さんから屋敷に招かれました。一休さんは、普段着で庄屋さんの屋敷に出かけたのですが、庄屋さんに「お前のような乞食坊主は呼んだ覚えがない」と追い返されます。
一休さんは、「なるほど、庄屋が呼んだのは、一休という僧侶ではなく、高い地位や肩書きだということだな」とつぶやきます。
そして弟子に、見た目に豪華な金襴の袈裟を持たせて庄屋さんのもとにやり、「そんなに偉いお坊さんを呼びたいのなら、この袈裟にご馳走を食わせてくれ」と言わせたといいます。
鎌倉時代に栄西(えいさい)という禅のお坊さんが活躍していました。栄西は、この寶泉寺が属する曹洞宗と同じ禅宗で、兄弟の宗派と言ってもいい臨済宗の開祖です。中国からお茶を持ち帰り、日本にお茶を広めたのもこの栄西だと言われています。
その栄西は、大きな袈裟を着て街を歩き、またその歩き方も物の言い方も大仰だったと言います。その栄西の姿を見て、人々は「大袈裟」と言うようになったというのです。