手水舎(てみずや)
「太郎くん、今日もお墓参りかい?」
「今日は、学校の帰りだよ。ふ~、階段登ってきたら、つかれちゃった」
「そうかそうか」
「方丈さん、喉が渇いたから、水飲み場で水飲んでくるよ」
「うんうん。太郎くん、でもな、あそこは水飲み場じゃないんだよ」
「そうなの? だって、水飲むためのひしゃくもあるじゃない」
「そっか、これまで教えたこと無かったな、あれはな、手水舎(てみずや)と言ってな、手や口を洗うところなんだよ」
「洗うところ?」
「まあ、洗うというより、浄めると言ったほうが正しいかな」
「きよめる?」
「お寺や神社という場所は、とても清らかな場所だということはわかるよね」
「うん、ここに来ると、なんか気持ちいいもん」
「そうそう。それでな、お寺の外というか、普段みんなが暮らしている場所は、穢(けが)れというかね、汚れたものが多いんだよ」
「汚れたもの? うん、そういえばいつもお母さんに、外から戻ってきたら汚いから手をあらいなさい、って言われている」
「そうだな。お母さんは、太郎くんが泥だらけになって外で遊んできて、手にばい菌とかが付いているのかを心配して、手を洗うように言っているんだな。でも、この穢れというのは、そういったばい菌とかじゃなくて、この世の中で生きていくと、どうしても受けてしまう宗教的な汚れと言ったらいいかな」
「宗教的な汚れ?」
「難しくてごめんな。目に見えないものなんだけど、その穢れというものがたくさんあると、元気が無くなったり、悪いことがおきたりするんだよ」
「そうなの~?」
「お寺や神社はとても清らかな場所だから、入る時はね、そうした悪い穢れが入ってこないよう、入口で浄めるんだ。仏さまに穢れがついちゃ、申しわけ無いだろ」
「あの水場(みずば)は、そのためのものなの?」
「そうそう、水場じゃなくて、手水舎ね」
「ふ~ん」
「あそこで、手を洗って、口をすすぐと、みんな穢れがとれるんだよ。手水舎の見ずにはそうした力があるんだよ。だからね、あれは、水を飲んでいるんじゃないんだ。浄めているんだ」
「そうなんだあ」
手を浄めて、口を浄めて
「ちょっと、こっちに来なさい。せっかくだから、やり方を教えてあげる」
「は~い」
「まずな、こうやってひしゃくを右手に持って、水を汲んで、左手に水をかけて浄める、はい、太郎くんもやってみて」
「左手に水をかけて浄める」
「そうそう、今度は左手に持ち替えて、水を汲んで、右手に水をかけて浄める」
「右手に水をかけて浄める」
「いいぞ。今度は、また右手に持ち替えて、水を汲んで、左手をこうやってくぼませて、そこにひしゃくから水を注いでためる。そして、その水を口に含んで、すすいで、はき出す。はい、やってみて」
「水を口に含んで、口をすすいで出す。こう?」
「そうそう、いいぞ。ひしゃくから手に水を移すのは、直接、ひしゃくに口をつけると、他の人がいやがるだろう。そのためのマナーみたいなものだな」
「うん」
「もう一人でできるかい? もう一回、やって見る?」
「うん、方丈さん、見てて」
「そうそう、それでいいぞ。もう一人で、できるな」
「うん、できるよ!」
「今度は、お父さんやお母さんにも教えてあげなさい」
「は~い」
勉強もできるようになる?
「それからな、手水舎でお清めをするというのは、お寺に入るために浄めるということだけじゃなくて、こうやって浄めると、毎日の運も良くなるんだぞ!」
「ほんと!?」
「勉強も出来るようになるかもな?」
「ほんと!?」
「まあ、太郎くんのがんばり次第だけどな」
「やっぱりそうかあ」
「でもほんとうに、浄めることで気持ちが変わってくるから、いいことは必ずあるんだよ」
「そうかあ、じゃあここに来た時は、方丈さんに教わったとおり浄めるようにするよ」
「それから、お母さんに怒られないように、家に帰った時にもちゃんと手を洗うようにな」
「は~い」
「じゃあ太郎くん、元気でな。お祖母ちゃんにもよろしく」
「ありがとう、方丈さん」
「うん、気をつけてな」
「は~い、さようなら」