1. HOME
  2. 連載記事
  3. 仏教のことば
  4. 坐禅(ざぜん)

坐禅(ざぜん)

成績表と坐禅

「方丈さん」
「おっ、太郎くんか。よく来たね」
「夏休みが始まったんだ。またちょくちょく、来ていい?」
「そうか、夏休みか。じゃあ一学期の成績表ももらってきたかい」
「う~ん」
「お母さんに怒られた、って顔しているぞ」
「そう、また、怒られちゃったんだ」
「太郎くんは、何が苦手なんだい」
「算数が苦手。でも怒られたのは、それじゃないんだ」
「というと?」
「先生が色々書くところに、『授業中、よそ見が多く、落ち着きがありません』ってあるのを見て、『いつも、言ってるでしょ。落ちつきなさいって』ってガミガミ言っているんだ。それ以来、僕の顔を見るたび、『落ち着け』ってうるさいんだ」
「そうかそうか、そりゃたいへんだな」
「笑い事じゃないよ、もういやんなっちゃう」
「ゴメンゴメン」
「それでね、お母さんが、方丈さんのところで、坐禅を教わってきなさいって言ってるんだ。落ち着きが出るように」
「なるほど、お母さん、そんなこと言ってるんだ」
「僕も、それでやってみようかな、って思って」
「偉いな太郎くんは」
「少しは成績も良くなるかなって。でも坐禅ってどんなことするの?」
「まあ簡単に言えば、坐って気持ちを静かにするということだけど、言葉で言ってもわからないものなんだ」
「ふ~ん」
「この寳泉寺は、正式には寳泉禅寺と言って、坐禅の禅という文字が入っているんだよ。寳泉寺は、曹洞宗って言う宗派のお寺なんだけど、曹洞宗は禅がその教えの中心にあるんだ。じゃあ、とりあえず、ちょっとやってみるか?」
「えっ、もう今日いいの?」
「いいよ、ちょっとずつ慣れていったほうがいい」
「何か用意とか?」
「用意なんかいらないから、大丈夫だよ。こっちに来なさい」
「はい」

初めての坐禅

「じゃあ、始めに合掌だ。手と手を合わせてごあいさつ」
「はい」
「それでな、まず最初に言っておく。お母さんから、坐禅をして、少しは落ち着きを持つようにって言われているそうだが、坐禅をする時は、そんなことを考えちゃいけない。成績が良くなるかも、っていうことも駄目だ」
「そうなの?落ち着きが出ないと、お母さんにまた怒られちゃう」
「何かを得ようとしたり、いい人間になろうとしたり、そういういことを考えてはいけない。もちろん、お母さんに怒られないように、と考えるのも駄目だ」
「ううん」
「それで、坐っている時もそう、何も考えてはいかん」
「ううん」
「じゃあ、坐るよ。足はこうやってね、右の足を左の腿(もも)の上に乗せてな」
「いててて!」
「無理なら、正座でもいいぞ」
「うん」
「じゃあ今日は正座でな、あまり長くはやらないから」
「うん」
「坐ったら半眼になって。半眼というのはな、薄目で、目を半分だけ開ける感じだ。それで、1メートル先の床のあたりを見なさい」 「うん」
「返事はもうしなくてもいいよ。それで、ゆっくりと鼻から息を吸って、口から吐いて。いいかい、それをただ繰り返すぞ。じゃあしばらく、そのまま」

ただひたすら坐る

「はい、これまで。足を崩してもいいよ」
「ふ~」
「よくがんばったな。今ので3分くらいだから。最初にしては上出来だよ」
「え~、これでたった3分?。10分くらい坐っていたような気がするよ」
「坐っている間、何を考えていたかい?」
「う~ん、やっぱりお母さんのことかな。怒られないようにするにはどうしたらいいか」
「慣れてきたらな、坐っている間は、何も考えないようにするんだ」
「何も考えない?」
「坐禅の心得としてな、『只管打坐(しかんたざ)』という言葉があるんだよ。ただ、ひたすら坐禅をする、ということなんだよ。坐禅をする時には、何も考えない、それからさっき言ったように、坐禅をすることで何かを得ようともしない、ということさ」
「ふ~ん、よくわからないや」
「まあ、太郎くんは、お母さんに怒られないようになるために、坐禅をする、というのでもいいよ」
「うん」
「お寺に来る時は、ちょっとだけでもいいから、毎回やろうな?お母さんに怒られなくなるためにも」
「うん、落ち着きは出るようになる?」
「そうだな。なるよ、だいじょうぶ。もう今日、少しだけ落ち着きが出たんじゃないかな」
「ほんと?じゃあまた教えてね」
「いつでも来なさい。待ってるからね」
「ありがとう、方丈さん」

関連記事