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餓鬼(がき)

画像(餓鬼草紙)提供:東京国立博物館

 餓鬼という言葉は、「餓鬼のくせに、生意気だ」「この餓鬼が!」などと、子どものことを、さげすんだニュアンスで呼ぶときに使います。子どもの集団の親分的な存在を「餓鬼大将」と呼ぶこともあります。
 この餓鬼ですが、もともとは仏教で、生前の報いで「餓鬼道」という場所に落ちた亡者のことを言いました。
 我々人間は、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道という6つの世界(六道)を輪廻すると言われています。現在の生で、どんな生き方をしたかによって、次の生でどこに生まれるかが決まるのです。行い次第では、天に生まれることもあれば、地獄に生まれることもあるということです。
 これらはすべて迷いの世界で、現在我々がいる人間道はもちろん、人間より遙かに優れた天人たちが暮らす天道ですら、迷いに満ちています。仏教の究極の目的は、悟りを開いて、この輪廻から解脱することなのです。
 餓鬼道は、飢えと喉の渇きに苦しむ場所です。生前に、強欲で、嫉妬深く、貪りの心にとらわれている人が、この餓鬼道に落ちると言われています。餓鬼は、しじゅう水や食物を欲しがりますが、喉は針のように細いため、飲み食いしようとしても、喉を通りません。それで絵巻物などに描かれる時は、腹だけがふくれて、それ以外は痩せてひからびた姿をしているのです。
 子どものことを餓鬼と呼ぶのは、いつもお腹をすかして、食べ物を欲しがっているのが、餓鬼の姿のようだからだと言われています。
 夏になると、全国のお寺で、施食会(施餓鬼会)という行事が行われます。これは、餓鬼道に落ちて苦しんでいる死者の霊に、施しをするための行事です。
 ある時、お釈迦さまの弟子の阿難(あなん)尊者が、坐禅をしていると、突然、餓鬼が現れて、「おまえは三日後に死んで、餓鬼道に落ちる。それを避けるには、我々餓鬼道に落ちた者たちに、たくさんお供えをして、供養をするのだ」と告げられました。驚いた阿難が、お釈迦さまに相談したら、「観音様の言葉を唱えながら供養をしなさい」と言われたので、その通りにしたところ、餓鬼道にいる餓鬼たちが食べ物を食べることができ救われ、阿難の寿命も延びたのです。
 施食会は、こうした阿難尊者の故事に因んで行われるのです。

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