本山(ほんざん)
「太郎くん、今日はお墓参りかい?」
「うん、お盆だからね。お祖父ちゃんに会いに来たんだ」
「そうか偉いな。お祖母ちゃんはどうした?」
「お墓で、お祖父ちゃんとお話ししている。お父さんが、しばらくお祖母ちゃんをひとりにしてあげなさい、って」
「そうか、じゃあ今日は家族全員なんだな」
「うん、これからみんなで、美味しいものを食べに行くんだ」
「美味しいもの?そりゃ楽しみだな」
「楽しみ~!」
「よかったな。うん」
曹洞宗の本山
「方丈さん、ところで、この写真のお寺はどこのお寺? ここのお寺じゃないよね」
「そりゃ違うよ。ここのお寺は、こんなに立派じゃないよ。こっちの写真はね、永平寺というお寺、それでこっちが総持寺」
「何で飾っているの。方丈さんが好きなお寺?」
「うん、そうだな、好きなお寺だよ。でも、ここに飾っている訳は、それだけじゃないんだ。この二つのお寺は、いわば親戚みたいな、うん、このお寺の両親みたいなものだな」
「お父さんとお母さん?」
「そうだよ。うちのお寺はね、仏教なんだけど、曹洞宗という宗派に属しているんだよ。わかるかな?」
「前にも、方丈さんに聞いたから、何となくわかるよ」
「日本の仏教には、いくつかのグループがあって、そのひとつといったらいいかな。曹洞宗は、いちばん大きなグループなんだけど、その中心のお寺が永平寺と総持寺なんだよ」
「会社の本社みたいなもの?」
「うん、そうそう。よく知っているな。仏教では本山と言うんだ」
「本山?」
「そう、本山。こっちの永平寺は、だいたい八百年前に建てられたお寺なんだよ」
「八百年? すご~い」
道元さんと永平寺
「太郎くん、道元さんという人を知っているかな」
「うん! 知ってる。この間、DVDで映画見たよ。『禅』ていう映画。中村勘九郎さんだよね」
「そうか、映画を見たんだ。その中村勘九郎さんが演じてたのが、道元さんだよ」
「かっこよかったよ。道元さん」
「そっか、それはいい。道元さんは、高貴な身分の生まれだったらしいけど、それを捨ててお坊さんになったんだ。それで比叡山というところでお坊さんの勉強をしたんだけど、そこでの勉強じゃ満足できなかったんだ。それで、当時の仏教の本場だった中国にわたったんだよ」 「へ~」
「中国では、本場の坐禅を四年間、勉強したんだ。日本に戻ってから京都にお寺を建てて、布教をしていたんだけど、道元さんのことを、面白く思わない人たちがいてね。だいぶ嫌がらせをされたんで、福井県のほうに移ったんだよ。そっちには色々と助けてくれる人もいたんでね。そこで建立したお寺が永平寺なんだ」
「たいへんだったんだね、道元さん」
「うん、でもそのたいへんな思いをして建てた永平寺に、八百年後の今でも変わらず、たくさんのお坊さんが修行をしてるんだ。すごいだろう」 「すごい。八百年も」
もとは石川県にあった総持寺
「それで、こっちのお寺もすごいぞ。総持寺」
「総持寺って、行ったことあるよ」
「そうか。このお寺は、横浜の鶴見にあるからね」
「うん。お祖父ちゃんが生きている時に、いっしょに行った」
「そうだったんだね。でも総持寺は、もともと石川県にあったんだよ」
「石川県? じゃあ永平寺の近く?」
「ちょっと離れているけど、隣の県。永平寺は福井県。でもね、明治時代に、火事があって、それで全部燃えちゃったんだ」
「全部?!」
「そう。それで、みんなで頑張ってお寺を再建するんだけど、同じ場所じゃなくて、『これを機に、横浜に移転しよう』ってことになって、引っ越してきたんだ」
「へ~、そんなことあるの?」
「それが、あんまりあることじゃ無いんだよ。総持寺くらいしか、聞かないなあ」
「ふ~ん」
「総持寺は、永平寺より百年くらい後に開かれたんだ。もともと諸嶽観音堂というお寺があったんだけど、そこの住職だった定賢という人の夢に、『瑩山さんという人にお寺を譲れ』というお告げがあったんだよ。瑩山さんはね、道元さんの三代後の人なんだ。それで瑩山さんは、譲ってもらったお寺を禅の道場にして、名前も改めて総持寺にしたんだ」
「それが、総持寺なんだ。でも、引っ越した後には、もう何も無いの?」
「実は、もともとあった場所にもお寺は再建されたんだ。今でも、総持寺祖院というお寺があるんだよ」
「すごいね、どの話も、ドラマチックだね」
「そうだな。でも、いろんな人のご苦労があって、永平寺も総持寺も続いているんだ。ここのお寺も、そのおかげで護られているんだよ」
「そっか~、じゃあ、お祖父ちゃんも、そうした人たちのおかげで安心してお墓に眠ってられるんだね」
「そうだな、うん」
「方丈さん、ありがとう。お話し、楽しかった」
「また来なさい。それから、ごちそう、食べ過ぎないようにな」
「うん、じゃあね方丈さん」